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浦和地方裁判所 昭和55年(ワ)32号 判決 1985年12月27日

原告

石井浩人

石井信保

石井フミ子

右三名訴訟代理人弁護士

須賀貴

吉田聰

梶山敏雄

被告

医療法人会田病院

右代表者理事

会田昭

被告

会田昭

右両名訴訟代理人弁護士

丸山正次

福島武

主文

一  被告らは各自原告石井浩人に対し金二二〇万円及び昭和五二年一月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らに対する原告石井浩人のその余の請求及び原告石井信保、同石井フミ子の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告石井浩人に生じた分はこれを一〇分し、その九を原告石井浩人のその余を被告らの、被告らに生じた分はこれを一〇分し、その九を原告らのその余を被告らの各負担とし、原告石井信保、同石井フミ子に生じた分はすべて原告石井信保、同石井フミ子の負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

「1 被告らは連帯して原告石井浩人に対し、金三、八八〇万六、二三一円と、金四、四六九万〇、〇八六円に対する昭和五二年一月一〇日から昭和五八年一一月一五日まで年五分の割合による金員、金三、七八〇万六、二三一円に対する昭和五八年一一月一六日から支払いずみまで年五分の割合による金員、金一〇〇万円に対する昭和五五年二月三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 被告らは連帯して原告石井信保、同石井フミ子に対し、各金一六九万一、九三〇円と、各金二〇〇万円に対する昭和五二年一月一〇日から昭和五八年一一月一五日まで年五分の割合による各金員、各金一六九万一、九三〇円に対する昭和五八年一一月一六日から各支払いずみまで年五分の割合による各金員を支払え。

3 訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行宣言

二  被告ら

「1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二当事者の主張

一請求の原因

1  当事者

(一) 原告石井浩人(以下「原告浩人」という。)は、昭和三六年二月二日出生の男子で、原告石井信保(以下「原告信保」という。)は原告浩人の父、原告石井フミ子(以下「原告フミ子」という。)は原告浩人の母である。

(二) 被告医療法人会田病院(以下「被告病院」という。)は、肩書地において内科、胃腸科、整形外科を有する病院を経営しており、被告会田昭(以下「被告会田」という。)は、被告病院の理事長兼院長であるとともに、外科を専門とする医師である。

2  事故の発生とその後の事実の経過

(一) 事故の発生

原告浩人は、昭和五一年一一月、分離前相被告株式会社栗田製麺所(以下「栗田製麺所」という。)に正規の社員として入社し、同年一二月二〇日頃から製麺機による麺製造の作業を命ぜられてこれに従事していたが、同月二七日午前九時四〇分頃、右機械の作動を一旦停止し、練り上つた粉を取り出し、次の製麺用の粉を練るため右機械内の鉄製羽根に付着した麺糟を取り除くため少しずつ機械を作動させていたところ、原告浩人の左腕部袖が右羽根に巻き込まれたため、一瞬のうちに同人の左腕も右羽根に巻き込まれ、そのため左上腕骨複雑骨折の傷害を受けた。

(二) 診療経過

(1) 原告浩人は直ちに救急車で被告病院に搬入され、受傷時から約二〇分後である同日午前一〇時に被告会田の初診を受けた。

(2) 被告会田は原告浩人の創傷部に対する処置を施したが、被告病院に入院した原告浩人は当日夜から翌二八日朝まで幻覚と激痛のためほとんど眠れず、同日も一日中激しい痛みがあつたものの、未だ目立つた腫れや指の変色はなかつた。

(3) 主治医である被告会田の指示のもと同月二九日午後一時頃、被告病院に勤務する根本巌医師(以下「根本医師」という。)が原告浩人の複雑骨折の整復手術をしたうえ、術後左腕にギプスを巻く措置をとつたが、その際同医師は原告浩人に対し「二七日に消毒したけれど菌(又は粉)が残つていた。」旨告げた。

(4) 同月三〇、三一日原告浩人は激痛のためよく眠れなかつた。昭和五二年一月一日午前中、原告浩人は、ギプスの下から悪臭がするのに気付き、その旨看護婦に伝えたが、大丈夫であると言われた。しかしながら、原告浩人は、指の感覚がほとんどなくなり、痛みが激しく、指は茶色つぽく変色して冷たい感じがして腫れたような感じになつてきたが、当日午前中原告浩人を診療した医師の説明では始めのうちはこうなるものだとのことであつた。

(5) 同月二日には、原告浩人の左腕ギプスの下から悪臭を有する醤油様の色の液がしみ出し、その量は日毎に次第に多くなり、同月五日頃にはギプス末端の手首のあたりから流れ出すほどであつた。

この間激痛が継続し、同月五日頃には腕が萎えてしまつたのかギプスがゆるくなり、指は全く動かず感覚も全くなくなり、指の色は青白く変色した。原告浩人の病状が悪化する一方であつたので、同日原告信保が被告会田に転医の希望を告げたところ、被告会田は立腹してこれを拒否した。

(6) しかし、原告信保は越谷市大沢四丁目七番一号所在の熊坂外科医院に原告浩人を転医させることを決意し、同月六日被告会田にその旨を告げたところ、被告会田は烈火の如く怒り、「よし、それなら熊坂へ電話して診ないようにさせてやる。」と怒鳴りつけた。

(7) 同日、原告浩人は右熊坂外科医院に転医して熊坂悟医師(以下「熊坂医師」という。)の診察を受けたところ、同医師は直ちに原告浩人のギプスを全部除去してX線写真を撮影しガス壊疽の診断をした。その際、同医師は原告浩人に対し「さつき、会田先生から電話があつて、あなたを診てはならないと言われたので、これ以上診られない。傷はもう手遅れになつている。しかし、東京の病院を紹介するから明日入院しなさい。」と告げた。

(8) 原告浩人は、熊坂医師の指示に従い同月七日東京都中野区中央四丁目五九の一六所在の中野総合病院整形外科に入院し、同日藤田孝司医師(以下「藤田医師」という。)の診療を受けたが、同医師より広義のガス壊疽により生命の危険があるため左腕を切断しなければならないと告げられた。

(9) 原告浩人は、同月一〇日右病院において藤田医師の手術により左腕肩峰から一〇・五センチメートルの高さで左腕を切断された。

3  原告らは、被告病院における前記の被告らの所為(作為・不作為を含む)を通じて後記の財産的・精神的損害を蒙つた。

4  被告らの責任

この損害について、被告らには債務不履行ないし不法行為責任がある。

A 被告病院

(一) 債務不履行責任

(1) 診療契約の締結

昭和五一年一二月二七日左腕を負傷した原告浩人が被告病院に搬入された際、原告浩人と被告病院との間で、被告病院が、原告浩人の左腕複雑骨折の治療を目的とする診療契約が締結された。(以下「本件契約」という。)

(2) 債務不履行

被告病院は、理事長である被告会田、履行補助者である根本医師、他の医師及び看護婦をして、原告浩人の診療にあたらせたが、被告病院には次の債務不履行(注意義務違反)がある。

①a 注意義務

複雑骨折の患者の診療を担当する医師は、複雑骨折は外傷からの感染によりガス壊疽を引き起こす危険が大きいのであるから、創を洗浄して泥や異物をていねいに取り除き(クリーズィング)さらに汚染創の創縁切除を行ない挫滅壊死組織を広く切除して創を開放する(デブリッドマン)治療措置をとるべき注意義務がある。

b 注意義務違反

しかるに、被告会田は、創口をはじめ患肢全体を十分クリーズィングすることを怠り、また、デブリッドマンをするに際し、将来壊死に陥る危険のある組織を十分切除することを怠つた。

②a 注意義務

複雑骨折の患者の診療を担当する医師は、右骨折の整復手術を行なう場合、ガス壊疽の感染を防止するため、受傷後六時間ないし一二時間以内に行なわなければならないから、本件の場合、被告会田はクリーズィングとデブリッドマンの処置の直後に自らこれを行なうか、あるいは他の医師をして適切な時間内に手術を施行できるよう指示、準備ないしは転医させるべき注意義務がある。

b 注意義務違反

しかるに、被告会田は、原告浩人の受傷から一時間足らずの間に同原告に対しクリーズィングとデブリッドマンを行なつたが、その直後に自ら整復手術をすることも、転医させてこれを行なわせることも怠り、整復時期としては不適切な昭和五一年一二月二九日午後一時に被告病院の非常勤医根本医師をしてこれを行なわしめ、原告浩人が適切な時期に整復手術を受ける機会を失わせた。

③a 注意義務

上腕の挫滅により血管損傷を受けた患者の診療を担当する医師は、血行障害による筋肉等の組織の壊死を防止し患肢の機能の回復を図るため遅くとも受傷後六時間以内に、自ら血管縫合を行なうか、自ら血管縫合を行なうことができない場合には直ちに血管縫合をすることができる整形外科医の居る病院へ転医させて右手術を受けさせるべき注意義務がある。

b 注意義務違反

被告会田は、原告浩人の血管損傷につき、副血行枝の形成により同原告の患肢は生きる可能性が大きいものと軽信して血管縫合に思いをいたさず、原告浩人に対し、自ら血管縫合を行なうことも、転医させて右手術を行なわせることも怠つた。

④a 注意義務

複雑骨折の患者の診療を担当する医師は、このような患者は合併症としてガス壊疽による感染の危険が大きいのであるからその発症の可能性を予見して、患者の患部を頻繁に観察してガス壊疽の罹患の有無につき注意を払い、ガス壊疽が発生した場合には、速やかにその適切な治療をすべき注意義務があり、治療に不安を覚えた患者が転院を希望した場合に妨害するなどのことがあつてはならないことは当然である。

b 注意義務違反

被告会田は、昭和五一年一月一日午前中に、原告浩人がギプスの下から悪臭がするのに気付いてこれを同被告に訴え、更に同月二日からは原告浩人のギプスの下から悪臭を伴なう漿液が流出し始め、その他患部の激痛及び手指の変色等、明らかにガス壊疽の臨床症状が発症したにもかかわらず、これを見落し、ガス壊疽診断のためX線撮影、細菌学的検査等の諸検査を行なうことも、ガス壊疽の治療をすることも怠り、あまつさえ不安を覚えた原告浩人の転医さえ妨害した。

⑤a 注意義務

複雑骨折した患者の診療を担当する医師は、右患者の患肢にギプスをした場合、過度のギプス緊縛がガス壊疽をはじめとする合併症を引き起こす危険があるのであるから、患者がギプスをする必要がなくなるまでギプスがきつくなつてきたか否か、痛みや知覚異常が生じたか否か、またチアノーゼが生じたか否か等について細心の注意を払つてギプスを巻いた患肢を頻繁に観察する義務があり、異常を発見した場合には直ちにギプスを解く義務がある。

b 注意義務違反

被告会田は、昭和五一年一二月二九日に根本医師が原告浩人に施行したギプスを同原告が被告病院を退院するまでそのまま放置して原告浩人の左腕に高度の循環障害を引き起こした。この血行障害はガス壊疽の病原菌である嫌気性菌の増殖にはこの上ない好条件となるものである。

(二) 不法行為責任

(1) 被告病院の理事長である被告会田、根本医師、その他の医師及び看護婦は、原告浩人の診療にあたつたが、次の過失があつた。すなわち、被告会田には、前記4A(一)(2)①ないし⑤の注意義務違反の過失があつた。

(2) 被告病院の理事長である被告会田、使用人である根本医師、その他の医師及び看護婦が、その各職務を行なうにつき原告らに損害を与えたものであるから、被告病院は、右損害を法人又は使用者として賠償すべき責任がある。

B 被告会田

(1) 被告会田は、原告浩人の診療にあたつたが、前記4A(一)(2)①ないし⑤の注意義務違反の過失により同原告に前記のように財産上および精神上の損害を与えた。

(2) 被告会田は、右不法行為により原告らに損害を与えたものであるから、右損害を賠償すべき責任がある。

5  損害

(一) 損害の概要<省略>

(二) 損害の算定<省略>

(三) 損害の一部填補

昭和五八年一一月一五日、原告らと分離前相被告栗田製麺所との間で裁判上の和解が成立し、原告らは右会社から和解金として七五〇万円を受領した。右和解金は、原告浩人の損害である弁護士報酬一〇〇万円を除く原告らの損害に対し按分比例して補填される趣旨のものとして交付された。

6  結論

よつて、原告浩人は、被告病院に対しては、債務不履行又は不法行為を理由として、被告会田に対しては不法行為を理由として、原告浩人が蒙つた全損害四、五六九万〇、〇八六円から昭和五八年一一月一五日に前記栗田製麺所から原告らに対して支払われた和解金七五〇万円のうち、原告浩人の損害である弁護士報酬一〇〇万円を除外した同人の損害に対し、原告石井信保、同フミ子の損害と按分して補填された六八八万三、八五五円を控除した三、八八〇万六、二三一円と、右控除前の全損害四、五六九万〇、〇八六円に対して左腕切断の日である昭和五二年一月一〇日から右和解金が支払われた昭和五八年一一月一五日まで、また右控除後の三、八八〇万六、二三一円に対して右和解金の支払いの翌日である昭和五八年一一月一六日から、内金一〇〇万円に対しては本訴状送達の翌日である昭和五五年二月三日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、また、原告石井信保、同石井フミ子は、被告らに対し不法行為を理由として、その蒙つた各損害二〇〇万円から右和解金のうち右原告両名の損害に対し原告浩人の損害と按分して各補填された各三〇万八、〇七〇円を控除した各一六九万一、九三〇円と、右控除前の各損害金二〇〇万円に対して左腕切断の日である昭和五二年一月一〇日から右和解金が支払われた昭和五八年一一月一五日まで、また右控除後の各一六九万一、九三〇円に対して右和解金の支払いの翌日である昭和五八年一一月一六日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを各求める。

二請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2(一)(1) 同2(一)の事実のうち、原告浩人が左上腕骨複雑骨折の傷害を受けたことは認め、その余は知らない。

(2) 同2(二)(1)の事実のうち受傷時から約二〇分後との点は否認し、その余は認める。原告浩人が受傷してから被告病院に運ばれるまでの時間は三〇分位である。

(3) 同2(二)(2)の事実のうち、原告浩人が入院した当日夜から翌二八日朝まで幻覚と激痛のためほとんど眠れず、同日も一日中激しい痛みがあつたことは否認し、その余の事実は認める。

(4) 同2(二)(3)の事実のうち、根本医師が原告浩人に対し「二七日に消毒したけれど菌(又は粉)が残つていた。」旨告げたとの部分は否認し、その余は認める。

(5) 同2(二)(4)の事実は否認する。

(6) 同2(二)(5)の事実のうち、同月五日頃には腕が萎え、指が動かず感覚もなくなつたことは認め、その余は否認する。

(7) 同2(二)(6)の事実は否認する。

(8) 同2(二)(7)の事実のうち、一月六日に原告浩人が熊坂外科医院に転医して熊坂医師の診察を受けたことは認め、その余は知らない。

(9) 同2(二)(8)の事実は知らない。

(10) 同2(二)(9)の事実のうち、原告浩人が中野総合病院で左腕肩峰から一〇・五センチメートルの高さで切断の手術を受けたことは認め、その余は知らない。

(二) 被告病院における原告浩人に対する診療経過は次のとおりである。

(1) 昭和五一年一二月二七日

午前一〇時頃救急車で来院、被告会田が診察、左上腕諸筋は一部を残しほぼ全部切断、正中神経は挫滅、橈骨神経は切断欠損、左上腕動脈はもぎとられるように破裂欠損状態にあり、被告会田は直ちにオスバン液で洗浄、ピロゾン、マーゾニンで消毒、デブリッドマンを行ない筋を縫合、皮膚を疎に縫合、皮下にドレーンを置き上腕から手元までシーネ固定、止血剤、輸液、抗生物質を投与、原告フミ子に対し、原告浩人の上腕切断は免れない旨を説明。

同月二九日

被告会田は根本医師と相談し同医師が整復手術を施行、根本医師は、創傷を処置し、骨片による軟部組織の再損傷防止等のため内副子固定を施行、その際原告信保に対し被告会田と同様の説明、ギプスはブリッジギプスとし、患部の観察が十分できるようにし、ブリッジ部分をフレームとし、ひもで結びつけて天井につるし、挙上位をとつて減腫及び循環障害の寛解を図る。術後は次第に下熱、脈も良くなり術後四日で熱も脈も正常化。全身状態も良く、食事も常食化。

昭和五二年一月四日

傷より分泌物があるも悪臭はない。

同月六日

細菌検査のうえ上腕切断の予定であつたが、早朝、原告信保から東京労災病院への転院の希望があり、同原告が無断で原告浩人を退院させる。

3  請求の原因3は争う。原告浩人の左上腕切断は事故による血管組織の壊滅によるもので後記のとおり血管縫合の適応もなくまたその実施も不可能だつたのであるから、被告らの所為と因果関係はない。

4  請求の原因4について

冒頭は争う。

A(一)(1) A(一)(1)の事実は認める。

(2) A(一)(2)冒頭の事実のうち、被告病院が理事長である被告会田、根本医師、他の医師及び看護婦をして原告浩人の診療にあたらせたことは認め、債務不履行があるとの主張は争う。

① A(一)(2)①aは争う。bの事実は否認する。また、被告会田は原告浩人の創に対し十分な消毒とデブリッドマンを施行している。

② A(一)(2)②aは争う。bの事実のうち被告会田が原告浩人の受傷から一時間足らずの間に同原告に対しクリーズィングとデブリッドマンを行なつたこと、その直後に自ら整復手術をしなかつたこと、昭和五一年一二月二九日午後一時ころ根本医師が原告浩人の複雑骨折の整復手術をしたことは認め、その余は否認する。

なお、複雑骨折の整復手術は受傷後六時間ないし一二時間以内に行なう必要があるとの原告の主張は医学的に全くの誤りである。

③ A(一)(2)③aは争う。bの事実のうち、被告会田が血管縫合のことに思いを致さなかつたこと、原告浩人の血管損傷につき副血行枝の形成により原告の患肢が生きる可能性があると判断したこと、原告に対し自ら血管縫合を行なわず、そのための転医をさせなかつたことは認め、その余は否認する。原告浩人の負傷の程度は、左上腕諸筋は一部の組織を残し全部切断され、正中神経は挫滅、橈骨神経は切断、左上腕神経はもぎ取られ破裂欠損の状態にあり、血管縫合の適応があつたことは疑わしい。

④ A(一)(2)④aは争う。bの事実のうち、被告会田がX線撮影、細菌学的検査、ガス壊疽の治療を行なわなかつたことは認め、その余は否認する。(イ) ガス壊疽は土壌感染によるものであり、ゆで麺の粉から感染発病するものとは考えられない。(ロ) ガス壊疽は猛烈なガス壊疽特有の悪臭を放つものであるが、この患者の傷からの臭はガス壊疽特有の悪臭ではなかつた等からみて原告浩人はガス壊疽に罹患していたのではなく、血管の高度の損傷による血液循環障害、筋・神経の高度の断裂、挫滅及び骨折による側副血行破裂等による筋壊死の状態にあつたものである。

⑤ A(一)(2)⑤aは争う。bの事実のうち、根本医師が原告浩人に対し、昭和五一年一二月二九日にギプスを施行したことは認め、その余は否認する。

(二)(1) A(二)(1)の事実に対する認否は、4A(一)(2)①ないし⑤に同じ、被告病院の医師等に過失があるとの主張は争う。

(2) A(二)(2)は争う。

B(1) B(一)(1)の事実に対する認否は同4A(一)(2)①ないし⑤に対する認否及び(二)に対する認否と同じ。

(2) 4B(一)(2)は争う。

5  請求の原因5の事実のうち、昭和五八年一一月一五日原告らと分離前相被告栗田製麺所との間で裁判上の和解が成立し、原告らが右会社から和解金として七五〇万円を受領した事実は認め、その余はすべて争う。

三抗弁

仮に被告病院が原告浩人に対し、同原告との診療契約上、血管縫合をすべき義務を負つていたとしても、血管縫合をするためには特殊な機械が必要とされるところ、被告病院には、右設備がないため血管縫合を行なうことはできず、また、措置時間を含め二時間(血管縫合による血管再建が可能な受傷からの容認時間)内に血管縫合ができる距離に血管縫合のための設備を有する病院はなかつた。

したがつて、被告病院が原告浩人に対して血管縫合を行なわなかつたこと、あるいは、血管縫合のために転医させなかつたことをもつて、被告病院の責に帰すべき事由があつたものと言うことはできない。

四抗弁に対する認否並びに反論

1  抗弁事実については全部否認する。被告病院の責に帰すべき事由がなかつたことは争う。

2  動脈結紮から血管再建までのゴールデンアワーは、六時間が原則とされている。血管外科設備のない病院においては、まず損傷血管を確認し、確認できれば損傷血管を結紮したうえ、血管外科設備のある病院に迅速に搬送すべきである。上腕動脈を結紮した場合、その後六時間以内のゴールデンアワーの時間内であれば、壊死をきたす頻度は四パーセントにすぎない。ところで、本件当時、被告病院から約一一キロメートルの距離に、春日部市立病院が存在し、同病院には、左上腕複雑骨折により切断された動脈を縫合するための人員及び機材の用意があつた。被告会田がクリーズィングとデブリッドマンに一時間以上もの時間をかけずに原告浩人を直ちに右市立病院に転医させたならば、受傷後一時間前後で同病院に搬送することができたはずであつて、原告浩人の左腕の機能は前記治療法によつて極めて高い確率で回復されていたものである。

第三証拠関係<省略>

理由

一請求の原因1(当事者)については当事者間に争いがない。

二事故の発生とその後の事実の経過

<証拠>並びに当事者間に争いのない事実を総合すると、次の事実を認めることができる。

1事故の発生

原告浩人は、昭和五一年一二月二七日午前九時四〇分頃、勤務先である栗田製麺所において製麺機による麺製造作業に従事中、右製麺機に左腕を巻き込まれたため、左上腕骨複雑骨折の傷害を受けた。

2診療経過等

(一)  原告浩人は、直ちに救急車で被告病院に搬入され、同日午前一〇時頃、被告会田の診察を受けたところ、左手挫創、左上腕骨開放骨折、筋切断(略切断)、橈骨神経切断欠損、正中神経及び尺骨神経麻痺の診断を受けた。

(二)  被告会田は、直ちに、原告浩人の創傷をオスバンで洗浄(クリーズィング)し、ピロゾン及びマーゾニンを使用して消毒したうえ、創切除(デブリッドマン)を行ない、筋肉及び皮膚を縫合した後、上腕から手元にかけてシーネ固定を行なつた。

(三)  原告浩人は同日被告病院に入院したが、疼痛を訴えたので、二度にわたり鎮痛剤であるソセゴンの注射が施行され、翌二八日にも二度ソセコンの注射がなされた。

(四)  同月二九日午後二時頃、主治医である被告会田の指示のもと、被告病院の非常勤医根本医師が執刀し、被告会田がその助手を勤めて、原告浩人に対し全身麻酔下で左上腕の観血的整復手術を行なつた。

右手術時における原告浩人の臨床症状は、上腕二頭筋及び上腕三頭筋切断、上腕骨骨折、正中神経切断欠損、上腕動脈切断(尺骨神経については不検査)というものであつたところ、根本医師は原告浩人の上腕骨の整復をしたうえ、これをプレート固定し、さらに皮膚をあらく縫合した後、傷口部分に窓を残して、上腕から手の先までをブリッヂギプスにて固定した。

(五)  同月三〇日原告浩人に三八・四度の発熱があり、また、疼痛を訴えるので、鎮静剤ソセゴンが注射され、翌三一日にも創痛が軽減しなかつたためソセゴンの注射がなされた。

(六)  昭和五二年一月二日午前中、原告浩人に三八・三度の発熱があり、これに悪感と寒気が伴つた。この頃から挙上位をとつた原告浩人の左腕ギプスの中から腐敗臭を伴う液が流れ出し、その量は次第に多くなつたが、これに対しては格別の措置はとられなかつた。なお、痛みは継続し、指先が変色して感覚がなくなつた。

(七)  同月五日には、原告浩人の体温はほぼ平熱となつたが、原告浩人を診察した被告病院担当医師は、患部の一部化膿の疑いを抱いた。

(八)  被告病院の原告浩人に対する診療に不安を抱いた原告信保は、同日被告会田に転医の希望を伝え、さらに翌六日午前に、同被告に対し、熊坂医師に原告浩人を診てもらつたうえ東京へ行く旨を話したところ、被告会田は、原告信保に対し「診させてやれなくしてやる」と怒鳴りつけ熊坂医院に原告浩人の診療をすることは適当でない旨の電話をした。

(九)  同日原告浩人は、原告信保に付添われて熊坂外科医院に転医し、熊坂医師の診察を受けた。同医師の診察時、原告浩人の患部には腫張、浮腫があり、左上腕手術創より悪臭ある多量の分泌液、肉芽汚穢、上腕より手指に及ぶ高度循環障害が認められ、また、レントゲン撮影の結果ガス像がみられたため、同医師は、ガス壊疽罹患の疑いを抱いた。なお、右診察の際、熊坂医師は、被告会田から電話があり、「前医とトラブルを起した患者を診察することは道義上望ましくない」旨言われたことを原告信保に伝えると共に、原告浩人を診ることはできないと話した。

(一〇)  そこで、原告浩人は、同月七日熊坂医師の紹介で中野総合病院に転医し、藤田医師の診察を受けたところ、同医師は、原告浩人の左上肢に悪臭を伴う腫張、漿液膿性の分泌物を認め、さらにレントゲン撮影の結果ガス像が認められたため患部の切開術を行なつたが、既に強い筋壊死の状態にあつた。そのため藤田医師は、左上腕骨開放骨折の外、嫌気性菌による筋壊死との診断を下し、原告浩人が敗血症により死亡する虞れがあり、同人の左上腕を切断する必要があると判断した。

(一一)  同月一〇日原告浩人の左腕は、藤田医師の手術により肩峰から一〇・五センチメートルの高さで切断された。

(一二)  ところで、原告浩人はガス壊疽に罹患したかどうかであるが、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、ガス壊疽とは、ガス発生を伴う感染症の総称(広義のガス壊疽)であつて、その多くが嫌気性菌であるクロストリディウムウエルシュ(Clost ridiumwelchii)菌により発症するもの(狭義のガス壊疽)であり、主として深い挫滅創や汚染創に発生するものであること、その症状は、患部の激痛、腫張、浮腫に始まり、進行すると皮膚面の水泡化、皮膚や筋肉の変色、漿液血性の悪臭を伴う排液などが認められ、触診においては捻髪音、主訴においては握雪感が特徴的であるとされている。また、全身症状としては、発熱、頻脈などの炎症症状、さらに進行すると外毒素による溶血、黄疸、高ビリルビン血症、ヘモグロビン尿、血圧低下などが認められ、死に至る場合もある。また、ガス壊疽の診断方法としては、右局所症状の存在、X線でのガス像の証明、細菌学的検査、ハプトグロビン、クレアチンホスキナーゼの各測定などが用いられている。

原告浩人の症状は、昭和五二年一月六日に熊坂医師の診察を受けた際には、患部に腐敗臭ある分泌液が多量にあり、腫張、浮腫、皮膚の変色、水泡化が認められたうえ、原告浩人からは激痛及び握雪感の訴えがあつたこと、さらにレントゲン撮影の結果、皮下にガス像が認められたこと、また、同年一月七日に藤田医師の診察を受けた際にも、患部に悪臭を伴う分泌物、腫張、疼痛及び圧痛があり、皮膚は二カ所にわたり黒変し、血管は閉塞して筋肉が壊死状態に陥つていたこと、さらにレントゲン撮影の結果、単なる皮下気腫とは言えない深い位置にガス像が存在したこと、加えて同日及び同月一〇日に摘出した組織を培養検査に出したところ、嫌気性の連鎖球菌が検出されたことなどが認められ、以上の諸事実に照らすと、本件においては、クロストリディウムウエルシュ菌の検出はないから狭義のガス壊疽と断定することはできないものの(なお同菌の検出率は嫌気性培養検査においても約五〇パーセントにすぎない。)、右両名の医師が原告浩人を診察した時点においては、少なくとも広義のガス壊疽に罹患していたものと認められる。

3そこで、原告主張のような財産的ないし精神的損害があるかどうか、あるとしたら被告らの所為との間に因果関係があるかどうかが問題となるがこの点はしばらくおき、以下の順序で被告らの責任の有無について検討することとする。

三被告病院の債務不履行責任

1診療契約の成立等

(一)  昭和五一年一二月二七日被告病院と原告浩人の間で、同原告の複雑骨折の治療を目的とする診療契約が締結されたことは当事者間に争いがない。

(二)  そうすると、被告病院は右診療契約に基づき、原告浩人の具体的臨床症状に応じ、医療専門機関としての善良な管理者の注意をもつて、その当時における一般の医療水準に従い、診療に当るべき義務を負うことは多言を要しないところである。

2義務違反の有無

そこで被告病院には原告が主張している義務違反があるかどうかについて検討することとする。

(一)  まず原告らは、被告会田の原告浩人に対するクリーズィングとデブリッドマンの措置の不適切さを主張するので、この点につき判断する。

<証拠>および鑑定人室田景久の鑑定結果ならびに弁論の全趣旨をあわせれば、手の骨折による開放創に対しては創縁を適宜に切除して洗浄を行う(クリーズィングとデブリッドマン)ことにつとめるべきであることは、当時一般外科医の間の行為準則ともいうべきものであつたことが認められる。

ところで、被告会田がとつた措置は、前記二2(二)で認定したとおりである。ところが<証拠>をあわせると、被告会田が右措置を行なつた後、原告浩人と原告フミ子は浩人の指の先にうどん粉様の粉がついているのを認めたこと、また原告浩人は根本医師による整復手術後、同医師から菌(又は粉)が残つていた旨を聞いたこと、さらに、熊坂医師による診察時に原告浩人の手術創縁が黒い壊死組織に覆われていたことが認められるから、少なくとも結果的にみると、被告会田のとつたクリーズィング・デブリッドマンの措置は十分なものではなかつたものと推認することはできる。

しかしながら、<証拠>によると、壊死に陥ると思われる部位は切除すべきであるがどこまで生着可能でどこから壊死に陥るか境界線を明らかにすることはなかなかむずかしいし、また創縁には多数の異物が存在することがあることが認められるので、右うどん粉のことがあるとしても、被告会田が右義務に違反したとまで断定することはできない。

(二)  次に、原告らは、被告会田が原告浩人に対する複雑骨折の整復手術を根本医師をして誤つた時期に行なわせた旨主張するので、以下この点につき判断する。

<証拠>及び鑑定人室田景久の鑑定結果を総合すれば、複雑骨折の整復手術とその時期については次のようなことが一般外科医に広く知られていたことが認められる。

複雑骨折の治療にあたつては開放創からの細菌感染を防止することが重要であり、受傷後六時間ないし一二時間以内のいわゆるゴールデンピリオド(golden period)内であれば細菌がまだ深部に及んでいないためクリーズィングとデブリッドマンにより化膿を防止することが可能であること、複雑骨折の整復時期については、細菌の侵入と増殖が未だ開始していない右ゴールデンピリオド内のクリーズィングとデブリッドマン終了後直ちに行うか、症状によつて、右ゴールデンピリオド内に開放骨折の本格的処置が行えない場合には、クリーズィングやデブリッドマンの後、一応創を閉鎖して骨折部の整復固定を図り、手術を必要とする症例については全身状態の回復、二次感染の危険が去つた後行う。右二次的観血的整復手術は、創が一次癒合した場合は受傷後二、三週間、創が一次癒合しなかつた場合は、創治癒後三、四週間を待つて行うのがそれぞれ原則であり、右以外の時期に手術を実施すれば細菌感染による症状悪化の虞れが非常に大きいから留意すべきである。

右認定に反する被告会田の供述部分は前掲証拠に照らすとにわかに措信し難い。

ところが本件の場合、根本医師が、原告浩人に対して行なつた整復手術の内容及び時期は、前記二2(四)で認定したとおりであつて、整復手術は、原告浩人の受傷後約五二時間経過後に施行されたことになる。

そうすると、原告浩人に対する整復手術は右に認定した整復手術の適応時期のいずれにも該当しない時期のものであることは明らかであるところ、被告病院の選択した整復手術施行時期が本件の場合に適切であると認めさせる特別事情についての主張立証がない以上、右整復手術はその施行時期において適切さを欠いたものといわざるをえない。したがつて、被告病院は、右の点で整復手術をする場合は適応時期にしなければならないという注意義務に違反したというべきである。

(三)  次に、原告らは、被告会田が原告浩人の血管損傷に対し血管縫合手術を施行しなかつたことをもつて被告病院に注意義務違反があると主張するので、以下この点につき判断する。

<証拠>を総合すると、次のことが一般外科医の間でよく知られ当時の医療水準を形成していた知見であつたことが認められる。

受傷により四肢動脈が損傷した場合、これを放置すると、緊縛性血腫が形成されて、当該患肢に循環障害が発生し末梢部位が無酸素状態となつて細菌感染の温床となるとともに、機能障害を引き起こし、最終的に患肢が壊死に陥る可能性が大きい。したがつて、四肢動脈を損傷した患者の治療にあたる医師としては、患部が右状態に陥るのを防止するため、損傷血管に対する縫合手術を行なつて血管の再建を図り、末梢部位の血液循環を回復させることが適当な治療措置であり、もし、自らの手で血管縫合を行なうことができない場合には、すみやかに損傷血管の結紮等の緊急措置を行なつた後、血管外科施設のある病院に搬送することが適切な措置である。また、血管再建の時期は、早ければ早いほど障害の発生が少なく良好であるとされ、受傷から血管再建までのゴールデンアワー(golden hour)は、受傷部位等により多少異なるものの原則的には六時間とされている。そして、前記動脈結紮による末梢側組織壊死の発生頻度は、上腕動脈結紮の場合においては四パーセントである。

そうすると、被告病院としては、患者の症状等に応じ対応すべき医療の性質上、原告ら主張のようにいかなる場合にも血管縫合を実施するかまたは実施させるかする義務ありとまでいえないにせよ、原告浩人に対し、少なくとも前記の知見について思いを致し、すみやかに骨折の症状からみて血管縫合の適応があるかどうかについて判断し、適応がないと認められない限り、前記ゴールデンアワー内に血管縫合をうける機会を失わせないよう最大限の努力をすべき義務を負うていたといわなければならない。

ところが、<証拠>を総合すれば、原告浩人の左上腕動脈は、本件受傷によつて当初から高度の損傷があり、被告会田は右損傷を認識していたにもかかわらず、血管縫合の適応の有無について思いを致さず、漫然副血行枝の形成により九六パーセントは前腕が壊死に陥らないものと考えて(鑑定人室田景久の鑑定結果と弁論の全趣旨をあわせると、このような考えは一般外科医の間ではとりえないものであつたことが認められる。)放置したことが認められ、必ずしも血管縫合の適応がなかつたと認めるに足りる証拠がないのに被告病院には原告浩人が血管縫合手術を受ける機会を失わないよう努力した形跡は全くない。

そうすると、被告病院としては、すみやかに骨折の症状からみて血管縫合の適応があるかどうか判断し、適応がないと認められない限り、前記ゴールデンアワー内に血管縫合をうける機会を失わせないよう最大限の努力をするという義務に違反したというべきである。

(四)  次に、原告らは、原告浩人が複雑骨折整復手術後、ガス壊疽の臨床症状を示したにもかかわらず、これを見落し、その治療を怠つた旨主張するので、この点につき検討する。

<証拠>及び鑑定人室田景久の鑑定結果をあわせれば、複雑骨折の傷害を受けた患者は、破傷風やガス壊疽等の細菌感染症等に罹患し易い状態にあるので、患者の症状を頻繁に観察することにより、右感染症等の発症を未然に防止し、万一発症した場合には、これに対し適切な治療をすべきことは一般外科医間で当然のこととされていると認められるので、被告病院にも右のような注意義務があつたといわなければならない。

また、治療に不安を覚えた患者が転医を希望した場合は特段の事情がない限りこれを積極的に妨害するなどいうことをしてならないことは診療契約の性質上当然である。

ところで、<証拠>を総合すれば、複雑骨折の整復手術を受けた原告浩人は、その後次第に患部の痛みが増し、昭和五二年一月二日ころからは傷口から悪臭がし出し、腐敗臭のある液状のものが流れはじめたこと、そして、腐敗臭は段々ひどくなり、流れ出る液の量も次第に増加したこと、指先は変色して冷たくなり無感覚となつたこと、原告浩人が右各症状を担当医に訴えたが、これに対しX線検査、細菌学的検査もなされず、又格別の治療措置もとられず、とられた措置としては毎日看護婦が原告浩人の傷口を消毒する程度であつたこと、ところが、一月五日には一部化膿がみられるようになり同月六日に熊坂医師の診察を受けた際にも患部から相当の腐敗臭がし、悪臭ある分泌物が多量に流れ、創の肉芽が汚穢状態にあつたことが認められ、これらに、先に認定のとおり原告浩人が広義のガス壊疽に罹患したことをあわせれば、整復手術後原告浩人に広義のガス壊疽の罹患を示す徴候が現われていたにもかかわらず、被告会田においてこれを見落し適切な治療措置をとることを怠つたものと推認するのが相当である。したがつて、右術後管理の点についても、被告病院に注意義務違反ありといわざるをえない。また、特段の事情も認められないのに原告浩人が転医治療をうけることを積極的に妨害した点も前記診療契約上の義務違反というべきである。

(五)  次に原告らは、原告浩人に対するギプス措置の不適切さを主張するので、この点につき判断するに、<証拠>を総合すれば、複雑骨折をした患者にギプスをした場合、ギプスの圧迫による合併症として血液の循環障害、特に血管圧迫によるフォルクマン拘縮、神経圧迫による神経麻痺、皮膚圧迫による褥瘡などの発生が予見されることが認められる。

そうだとすると、その診療を担当する医師としては、右のような合併症を引き起こさないようギプス及び患部の状態について注意を払い、適切な診療をすべき注意義務があるというべきである。

そこで、右注意義務違反の有無につき検討するに、<証拠>をあわせると、原告浩人が整復手術を受けた昭和五一年一二月二九日から被告病院を退院した昭和五二年一月六日まで右整復手術時のギプスの交換はなかつたこと、同日に熊坂医師の診察を受けた際、同医師は循環障害の状況からこれ以上のギプスの装着は好ましくないとしてこれを除去したこと、その際ギプスの圧迫によつて生じたとみられる黒変部が患部に認められたこと、右ギプスは漿液等により相当程度汚れていたことなどの事実を認めることができる。しかし、他方、<証拠>によれば、本件ギプスは空気が入り易くしかもギプス圧迫による障害を除去しうるように骨折部が架橋ギプスとされ、傷口を観察しうるよう窓が設けられていたこと、ギプス圧迫による皮膚の黒変はやむを得ない場合もあり、また、本件のように受傷部位よりも末梢に生じた場合には、傷に対する悪影響は考えにくいこと、さらに、前記黒変は、主幹動脈が詰まり循環障害が生じて腫れたため生じた二次的なもので、ギプスによる圧迫自体が直接循環障害を発生させたとは必ずしも言えないことなどの事実も認めることができ、これらの事実に照らすと前記認定の事実から原告浩人に対するギプスによる治療措置に不適切な点があつたと断定することはできない。したがつて、この点につき被告病院の注意義務違反ありとはいえない。

3義務違反と損害間の因果関係について

(一)  原告浩人が、中野総合病院で左腕肩峰から一〇・五センチメートルの高さで左腕切断の手術を受けたことは前記のとおりである。

(二)  ところで、<証拠>、鑑定人室田景久の鑑定結果を総合すると、本件機械事故による原告浩人の受傷程度は、左手挫創、左上腕骨開放性骨折、上腕二頭筋及び上腕三頭筋切断、橈骨神経切断欠損、正中神経切断欠損、上腕動脈切断というものであつたこと、上腕動脈のような大血管が切断された場合には、循環障害により受傷部位から末梢の部分が壊死に陥る可能性が大きく、仮に副血行枝が形成されたとしても、筋肉は機能を失ない、知覚も運動もないいわばミイラの様なぶら下げただけの状態の腕となること、右のような受傷で血管縫合ができない場合には、当初からの上腕切断も止む得ない状態であつたと考えられることなどが認められ、以上の諸点に照らすと、本件機械事故による原告浩人の受傷は、血管縫合ができなければ、上腕切断を免れない程度のものであつたことが認められる。

(三)  そこで、被告病院の対処の仕方如何により、原告浩人が血管縫合をうけ左上腕の切断を免れることができたか否かにつき検討する。

まず、被告病院には血管縫合のための設備がなかつたことは鑑定人室田景久の鑑定結果及び弁論の全趣旨により明らかである。そこで、つぎに被告病院が原告浩人に血管縫合を受けさせるためその適応時間内に転医させることができたか否かにつき検討するのに、原告浩人が、受傷から約二〇分間で被告病院に搬入されたこと、血管縫合のための適応時期は早ければ早いほど良いが六時間がゴールデンアワーとされていることは前記認定のとおりであるところ、<証拠>をあわせると、被告病院から約一一キロメートルの位置に春日部市立病院が存在し、本件当時同病院には血管縫合のための人員及び機材の用意があつたこと、被告病院から右春日部市立病院までの所要時間は普通乗用自動車で約二二分間であることが認められ、クリーズィング及びデプリッドマンのために要する時間を考慮に入れても、原告浩人の診療を担当した被告会田において、原告浩人を右春日部市立病院をはじめとする他の血管縫合設備を有する他の病院に転医させることによつて、前記ゴールデンアワー内に血管縫合を受けさせることは可能であつたものと認められる。

しかしながら、鑑定人室田景久の鑑定結果<等>をあわせると、血管断裂に対し血管縫合ができるか否かは血管断裂の状況によつて場合を異にし、特に本件の様な挫滅創にもとづく血管断裂の場合には血管縫合が困難なことが多いこと、血管縫合が可能な血管損傷であるか否かの判断は、損傷血管の状況を直接見なければ判断が難しいことが認められるところ、原告浩人の血管損傷の状況については必ずしも明らかではなく、原告浩人の血管損傷に対し臨床的に血管縫合が可能であつたとは鑑定結果を含む本件全証拠によつても認め難い。

そうすると、かりに被告病院が原告浩人が血管縫合をうける機会を失わないよう努力したとしても、左上腕切断を免れたとはいえないことになるから、被告病院の血管縫合に関する前記義務違反は右の左上腕切断という結果との間に因果関係があるとはいえないことになる。

また、右のように血管縫合が可能であつたといえない以上、かりに整復手術を適応時期に実施したとしても、左上腕切断を免れたとはいえないことになるから、被告病院の整復手術の時期に関する前記義務違反も、左上腕切断という結果との間に因果関係があるとはいえない。

さらに、かりに広義のガス壊疽に対する対応等術後管理を適切に行なつていたとしても、血管縫合が可能であつたといえない以上、左上腕切断を免れたといえないことは明らかであり、右義務違反も、左腕切断という結果との間に因果関係ありとはいえないことになる。

4そうすると、原告浩人の左上腕切断による損害についての賠償請求は理由がないことに帰する。

5左腕切断にもとづく損害賠償請求が認められないことは、右のとおりであるが、原告浩人は、被告病院に対し、診療契約の債務不履行によつて生じた精神的損害の賠償請求をしている。

おもうに、診療契約が一定の結果の達成を目的とするいわゆる結果債務ではなく、診療行為というある程度の時間の継続が予定されたいわゆるなす手段債務であることを考えると、患者としては医療機関における診療過程において医療水準を著しく逸脱した診療をうけるなど、診療契約上の著しい義務違反により精神的損害を被つた場合には医療機関に帰責事由がないときを除き損害発生について医療機関が予見しえた限り、右精神的損害の賠償をも求めうるというべきである。

ところで、前記認定のとおり被告病院には本件診療経過において整復手術の時期の点に関し、また血管縫合の点に関し、さらにはガス壊疽に対する対応等術後管理等に関しそれぞれ著しい義務違反があり、しかも、被告病院に帰責事由がないとはいえない(血管縫合の点に関して被告らは帰責事由がないことを主張しているが、前記のように被告会田は血管縫合に思いを致さなかつたのであり、血管縫合をうける機会を失わせないよう最大限の努力をする義務を怠つたことについて被告病院に帰責事由がないとはいえない。)から原告浩人は、医療水準に従つて受くべき医療行為を受けられず、受くべきではない医療行為を受けたこと、とくに害はあつても(細菌感染の怖れが生ずることは前記認定のとおりである。)益があるとは認められない適応時期と異なる時期における整復手術という身体に対する侵襲、ガス壊疽に対する対応の適切でない術後管理、さらには転院治療をうけることの妨害行為などにより原告浩人が精神的損害をうけたことは明らかであり、また、このことは被告病院においても十分予見し得べきことであつたとみられるから、原告浩人は被告病院に対して慰謝料を請求しうるといわなければならない。

そこで右慰謝料の額につき検討するに、本件における被告病院の各義務違反の態様及び医療水準からの逸脱の程度、原告浩人に対する診療期間、本件当時の原告浩人の年齢等諸般の事情に照らすと被告病院に対する原告浩人の慰謝料請求は二〇〇万円の限度でこれを認めるのが相当である。

6弁護士費用について

本件訴訟の難易及び経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、被告病院が原告浩人に対して賠償すべき弁護士費用は二〇万円とするのが相当である。

四被告らの不法行為責任

1原告浩人は被告病院に対しては、債務不履行と選択的に、また被告会田に対しても、不法行為にもとづく損害賠償を求めている。

(一) まず、被告病院に対する不法行為請求について検討するのに、原告主張の各注意義務違反と原告浩人の左上腕切断との間に因果関係があるといえないことは前記のとおりであるから、不法行為を理由とする損害賠償請求中左上腕切断により生じた損害の賠償を求める部分が理由がないことは明らかであり、また精神的損害の賠償を求める部分も債務不履行を理由とする損害賠償として理由があるとされた額を超える部分も、債務不履行によつて生じた額を超える損害を蒙つているとは認め難いから理由がない。

(二) また、被告会田の不法行為にもとづく損害賠償請求については、原告ら指摘の被告会田の各所為と原告浩人の左腕切断との間には因果関係が認められないから、この点につき損害賠償を認めることはできないものの、前記認定の事実関係によれば被告会田には被告病院の義務違反として認定したのと同じ義務違反があつてこれについて過失(前記妨害行為については故意)があると認められるので、被告会田の右各所為により原告浩人が精神的に被つた損害につき被告会田に賠償責任がある。そしてその額は、被告病院と同様弁護士費用二〇万円を含め二二〇万円とみるのが相当である。なお、被告病院と被告会田の賠償責任は、法的根拠を異にするものの、右被告両名の各所為は客観的に関連共同したいわば表裏一体のものと認められるからいわゆる不真正連帯関係に立つと解するのが相当である。

2原告信保及び同フミ子は、被告両名に対し不法行為にもとづく損害賠償請求をしているものであるが、右のとおり被告両名の所為と原告浩人の左腕切断との間には因果関係が認められないからこの点につき損害賠償を求めることはできず、また、前記原告信保、同フミ子にまで慰謝料の請求を認めることは、本件事案の性質上相当ではない。したがつて、原告信保、同フミ子の被告両名に対する本件請求はすべて理由がない。

五損害の一部填補との関係

前記のとおり原告浩人は、被告両名に対し二二〇万円の限度で損害賠償請求権を有しているものと認められるところ、原告浩人は、裁判上の和解により分離前相被告栗田製麺所から和解金を受領していることは当事者間に争いがないので、前記損害額との関係が一応問題となるが、本件二二〇万円の損害は、被告らの行為自体により発生したものであつて、栗田製麺所の所為との関連性は認められず、被告らが独自に負う損害賠償責任であると認められる。したがつて、右和解金と本訴における認容額とは何ら重複する点はない。

六結論

以上の次第で、原告らの被告らに対する本訴請求のうち、原告浩人の被告らに対する請求は、二二〇万円及びこれに対する同原告の請求にかかる昭和五二年一月一〇日(被告病院の前記債務不履行時ないし被告会田の前記不法行為時より後であることは明らかである)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、原告信保、同フミ子の被告らに対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小笠原昭夫 裁判官野崎惟子 裁判官樋口裕晃)

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